年内は26日まで・・・

最終日がゼミというのは有難い。
大学生にもなって「担任」が必要なのか?なんてゼミを受け持った時は思っていたが、時代に合った「人づくり」を担当するからには、現状を受け入れ「その中で」できることをすることが第一歩だと(今では)理解している。学生にもそういう「順応性」の高さを求めたい。

「我を通す」強さはあって良いのだが、同時に「責任」を自覚して結果を残さなくてはならない。それが出来なければ「我」は単なる「我儘」であり「甘え」に過ぎない。そして社会はそれを良しとはしない。

時間軸を見据えて自分の人生に責任を持つということは、「自分のことだけ」を考えるということではない。家族や友人、仲間…etc.自分の周りにいる存在にまで思いを馳せて行動するということだ。それが「筋が通っている」ということなのだ。

ほんの些細なことが原因で立場は一転する。人間は人である限り、人を無視、蔑ろにしては人に阻害されることになる。人には男女も老若もプロもアマもいて、それぞれが互いに「価値観」を持っている。その価値観は「社会性」をキーワードとして共通する部分は多いが、周囲と和してやっていくためには、コミュニケーションを媒介してでなければ無意味にすらなり得る。

よく知るある人物は、「○○先生」と呼ばれ尊敬され親しまれていたのだが、それを知らなかったのか、ある一件以降過ちを繰り返し、「○○さん」と一般化され、挙句の果てには「あの人は…」呼ばわりされる羽目となってしまった。

もちろん、その人物の将来が潰えてしまった訳ではないが、大きな「負」を背負うことになってしまったのは客観的な事実である。

僕は「来る者は拒まず。去る者は追わず」という人間だが、コミュニケーションの度合いによって関わり方が違うのは当然である。人間ってそんなものじゃないだろうか?

さて、学生たちはこのことをどう思っているのだろうか?大学にはそうした人間臭いノウハウを学ぶ環境やチャンスが沢山あるのだけどね。

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